息子の誕生日
本日は息子の誕生日。
本当に、おめでとう。
尊い1歳の誕生日。
産まれてきてくれてありがとう。
こんな私にも、
大好きって言葉では言えないけれど全身で伝えてくれる息子がいて、
常に心と体でコミュニケーションを取ってくれる旦那がいて、
息子の誕生日を覚えていてくれる友達がいて、
昼に一緒に公園を散歩してくれる友達がいる。
こんなにいいことがあるだろうか。
1対1で話すと、素敵な人だなぁと思う。
気が付けば、日本でこれだけ暖かい人に囲まれている。
そうか、息子の名前は「暖人」にしたけれど
人を暖かい気持ちにできる人になってほしかったんだよね。
official髭男dismの、
「laughter」という曲が最近心に沁みる。
失うものや諦めるものは確かにどれも輝いてみえるけれど
秤にかけた 自分で選んだ 悔やむ権利も捨て去った
鉄格子みたいな街を 抜け出すことに決めたよ 今
そうなんです。
日本にいて、息苦しさを感じることはあるけれど
優しい周囲の人々に救われているということも事実。
脳内で常に警鐘が鳴っているのも事実。秤にかけている途中なんだ。
世界はコロナから脱却している(もはや話題にもあがらない)のに、
日本人の99%がマスクをしている現状、
こどもたちにマスクを実質強制する現状に、
疑問すら感じない人々の群れ
この全体主義の流れ、集団心理にただ従う人々の群れに、
嫌悪感を抱くのは事実として変わらない。
ここにずっといたら、世界の基準から大きく離れてしまうのではないか?
いや、離れてもいい、日本だけ孤立した価値観を持ち続けてもいい、という考え方もある。ただ、今後海外からのインバウンドを期待したいのであれば、他国の人々がやりたがらない「マスク」を半ば強制することは、せっかくの経済回復の機運を逃してしまうのではないかと心配になる。要は、よそはよそ、うちはうち、というわけにはいかない事情も出てくるのではないか。
夫には、あと1年は様子を見てくれ、1年仕事復帰してみて、それでもこの国を出たいというのなら、止めない。と言われている。
仕事復帰して、どれだけ気持ちが安定するかはわからないが、
少なくとも今よりも自分の価値観に近い会社の同僚と、今後の日本について話し合い、考察するのは良いことだと思う。
息子、夫、友達、仕事、すべてを捨てて、海外へ出る勇気は今はない。
しかしながら、可能性を模索することは、希望に繋がる。