安心、安全ってなんだろう
社会復帰が4月に近づいている。
そう、私は現在育休中の身なのだ。
自分の中でもやもやしていたものを吐き出してみた。
そう、自分は「安心、安全」という言葉が嫌いだ。
なぜなら、それは長期的な目線が入っていないからだ。
「安心、安全のため、定期的に消毒させていただいております。」
お店では、1時間に1度、隅々までアルコールで消毒しているのかもしれない。
我々は、エタノールを長時間暴露していることになる。
これは体に害がないんだろうか・・・・
「安心、安全のため、マスクを着用してください。」
マスクは、吐く息を少なからず吸うことになるため、二酸化炭素の濃度が上がり、頭痛の原因になったりするようだが、常に環境の良くない空気を吸っている状況に、子どもたちを慣れさせていいのだろうか?将来的な成長への影響は?将来顔の下半身を見られたくない、なんて子が育たないだろうか?
いずれも、将来性を無視したクレーム対策なのである。
「安心、安全」という言葉の濫用によって、私たちは自分自身の心鍛えることを忘れてしまったようだ。
心身を鍛えて、自己免疫をあげる。
ワクチンやマスクに頼らず、家庭菜園や運動などをしてみる。
身の安全は自分で守る。自分の安心は自分で確保する。
こういった「自己責任」という考え方が必要だと思う。
自分が風邪をひいたら、誰かのせいだ、お店のせいだ。それは違うのでは?
経済的に成熟した日本では、
高齢化が進み、
「守ってくれるんでしょ?」
という大人が増えてくる気がしている。
私は、老後そんな大人にならないように気を付けたい
寿命を素直に受け入れて延命せず
自分の財産が余れば、貧しい子どもに寄付できるよう、
勉強できる機会を与えてあげたい。と思う。
なるべく社会のお世話にはならないように、金銭面のやりくりをしっかりと管理して、
若いうちはしゃかりきになって働いて、お金に余裕ができたら、子どもたちのためのビジネスを始めたいと思う。
しかしながら、子どもへのマスク着用の考え方はいつになったら見直しされるのだろうか・・・